マルコ・グレコMarco Greco、1961年12月1日 - )は、ブラジルの元オートバイレーサー、レーシングドライバーである。

経歴

1979年にロードレース世界選手権・350ccクラスに参戦。1981年からは最高峰クラスである500cc(現MotoGPクラス)に挑戦し1986年シーズンまで参戦したが、選手権ポイント獲得は成らなかった。

1987年から四輪レースに転向。イギリスF3選手権に参戦したがポイントは獲得できなかった。翌1988年から国際F3000にステップアップ。イギリスF3000にも参戦し、イギリス選手権では1989年にシリーズ4位を獲得したが、国際F3000選手権では好成績をあげることは出来なかった。これは翌年に影響し、1990年シーズン中盤、F1に参戦中だったユーロブルンがNo.2ドライバーのクラウディオ・ランジェスを降ろし、交代要員としてブラジルのスポンサー資金を持ち込めるグレコの獲得を決めF1シート獲得目前となったが、国際F3000での実績に乏しかったためスーパーライセンスの発給申請が却下されてしまい、F1デビューのチャンスを逃した。

1991年は、開幕戦後にF1フォンドメタルがグレコとテストドライバー契約を結んだと発表。4月にイモラでニューマシン「フォメットF1」のテスト走行を担当することと、この起用が来季正ドライバーの選考も兼ねているとチームはコメントしていたが、翌年のレースシートはガブリエル・タルキーニとアンドレア・キエーザが獲得し、グレコの希望はかなわなかった。

1992年、グレコは活動拠点をアメリカに移す。1992年にインディライツに参戦し、シリーズ7位となる。翌1993年よりインディカー(CART)のシートを獲得し、インディアナポリス500に4度出場した他、チャンプカー・ワールド・シリーズやインディカー・シリーズに参戦。1999年までアメリカン・オープンホイールへの参戦を続けた。

レース戦歴

オートバイレース

ロードレース世界選手権

1969年から1987年までのポイントシステム

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。

四輪レース

イギリス・フォーミュラ3選手権

国際F3000選手権

イギリス・フォーミュラ3000

アメリカン・オープンホイール

インディ・ライツ選手権
  • 1992年 ランドフォード・レーシング(マーチ・86A ビュイック)ランキング7位
チャンプカー (CART)
  • 1993年 インターナショナル・スポーツ(ローラ・T92/00)ランキング30位
  • 1994年 アルシエロ・レーシング(ローラ・T94/00 コスワース・XB)ランキング29位
  • 1995年 ギャレス・レーシング(ローラ・T95/00 メルセデス)、ディック・サイモン・レーシング(ローラ・T95/00 コスワース・XB)ランキング29位
  • 1996年 ディック・サイモン・レーシング(ローラ・T96/00 コスワース・XB)ランキング31位
インディ・レーシング・リーグ(IRL)
  • 1996年 AJフォイト・エンタープライズ(ローラ・T94/00 コスワース・XB)ランキング36位
  • 1996/97年 ランキング4位
    • 第1戦-第2戦 Sinden Racing Services(ローラ・T95/00 コスワース・XB)
    • 第3戦-第6戦 チーム・スカンディア(ダラーラ・IR7 オールズモビル・オーロラ)
    • 第7戦-第10戦 ギャレス・レーシング(Gフォース・GF01 オールズモビル・オーロラ)
  • 1998年 フェニックス・レーシング(Gフォース・GF01B オールズモビル・オーロラ)ランキング10位
  • 1999年 フェニックス・レーシング(Gフォース・GF01C オールズモビル・オーロラ)ランキング36位
インディ500

脚注


GRECO グレコ ELECTRIC BASS Gnecoロゴ マツモク製 ジャパンヴィンテージ

【現状渡し】 Greco グレコ ELECTRIC BASS メルカリ

マルコ・デル・グレコ氏と@小原ギタースタジオ 2011年12月3日 小原聖子ギタースタジオでのリサイタルの後… Flickr

動画:グレコMシリーズ継承モデル、45年を経て色褪せぬ日本製の美学 YOUNG GUITAR

【やっぱりGrecoは面白い!!】第6回は最近ちょっと話題のグレコを5本揃えました~。 YouTube