張 奮(ちょう ふん、生没年不詳)は、中国三国時代の人物。呉の重臣である張昭の甥。本貫は徐州彭城国。

20歳の時に攻城用の大攻車を造り、歩騭の推挙を受けた。年少にして軍に入ることを張昭からは反対されたが、それに対し張奮は「昔、童汪(童子だった汪踦)は国難に死し、子奇は(若くして)阿の地を治めました。私は確かに不才の身ですが、年齢に不足はありません」と答えた。そうして兵を預かって将軍となり、続けて功績を挙げ、半州都督・楽郷亭侯の位に昇った。

出典

  • 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻52 呉書 張昭伝及び付張奮伝(中国語版ウィキソース)

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